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あなたは、無限なるものに対する渇きを覚えたことがありますか。はかりしれぬものに向かって心を広げたい、という熱い望みを感じたことがありますか。あるいは、自分自身や今の生活に、満たされぬ思いを抱いてはいませんか。それならば、あなたの心を満たしてくれる何か、むなしく過ぎていく日々の嘆きからあなたを解放する何かを見つけられたら、うれしいでしょう?福音には、示唆に富む一つの言葉があります。それは、私たちが少しでも理解するなら、大きな喜びを与えてくれる言葉、人生で果たすべきことが凝縮されている言葉です。神が人間の心の奥底に刻まれたすべての掟が、要約されているものです。次のような言葉です。人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。これは「黄金律」と呼ばれます。キリストが世にもたらされた教えですが、当時すでに、世界の人々に知られていました。旧約聖書にも見られますし、古代ローマの思想家セネカや中国の孔子を始め、多くの人々が語った言葉です。この教えが広範に知られていた事実からも、神がこれを大切にされ、すべての人の人生の指針になるよう望まれたことが、わかります。モットーとしても美しい響きの言葉です。もう一度、聞いてみましょう。人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。では、一日の中で出会う隣人一人ひとりを、このように愛してみましょう。相手の立場になり、「自分だったらこうしてもらいたい」という態度で、接するようにしましょう。私たちの中におられる神の声は、状況に応じて、どのような形で愛を表現すればよいか、教えてくれるでしょう。 相手がおなかをすかせている場合には、「自分が空腹だったら」と考え、食べ物を提供しましょう。 相手が不当な扱いに苦しんでいるなら、「私がその状態だったら」と考えましょう。 相手が暗闇や疑いの中にある時には、「自分がそうだったら」と考えて、慰めの言葉をかけ、共に重荷を担うことができるでしょう。相手が再び光を見出し、気持ちが軽くなるまで、その人に心をかけ続けましょう。私たちも、他の人からそのようにしてもらいたいものだからです。また、相手が何らかのハンディキャップを負っているなら、私たちも、その人の抱える困難を自分の体と心の内に感じるほどに、愛するよう努めましょう。愛があるなら、その人に他者との違いを感じさせないような、適切な態度もわかってくるでしょう。私たちはキリスト者として、苦しみの持つ大きな価値を知っているので、その人の抱える困難の内に恵みを見出すこともできるでしょう。 こうして、感じのよい人、あまりよくない人、若い人、お年寄り、友人、敵、日本人、外国人、美しい人、そうではない人、などといっさい分け隔てすることなく、皆を愛することです。福音は、「すべての人」を愛するよう教えています。「そんな生き方は、難し過ぎる」と思う方も少なくないでしょう。 それも理解できます。また、私の話はあまりにも単純に聞こえるかもしれません。私たちの普段の考え方や行動は、こうした生き方からはほど遠いので、大きな心の変化が要求されます。でも、がんばって、試してみませんか。 このように生きられた一日は、一生にも値するものです。一日の終わりに、私たちは自分が大きく変えられていることに気がつくでしょう。それまで経験したことのない喜びとみなぎる力を感じるでしょう。そして神が、私たちと共にいてくださるでしょう。神は、愛する人と共におられるからです。 こうして、充実した日々が続くことでしょう。 でも時には、生きるスピードが落ちて、気をおとし、愛するのをやめたくなる誘惑にかられたり、以前の生活に戻りたくなったりするかもしれません。 でも負けないで、勇気を出してください。神は私たちに恵みを与えて下さいます。私たちは、いつでも再出発できます。忍耐強く生き続けるなら、私たちは周囲の世界がゆっくりと変わってゆくのを目にするでしょう。 福音は、最もすばらしい生活を私たちに与えてくれ、世に光をともし、生活を味わいあるものにし、あらゆる問題を解決するための基本であることを、私たちは理解するでしょう。 そして、自分のすばらしい経験を他の人に分かち合わずにはいられなくなるでしょう。私たちを理解してくれそうな友人、親戚の人、また誰であっても「この人に伝えたい」と心に感じる相手に、私たちは分かち合うことができます。こうして、希望が再び花開くでしょう。
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